お遍路さん.net

お遍路旅日記

旅行のクチコミサイト フォートラベル このページは、旅行のクチコミサイト フォートラベル(4travel.jp)の旅行記検索APIを利用しています。


日間賀島忘年会の旅 <その2>(カメちゃんさんの遍路日記)
旅行期間:2008/11/22~2008/11/23
常滑市の「やきもの散歩道」から15キロほど南に行ったところにある「野間大坊」へとやってきました。 知多半島というのは、もともと近いところ。ここへ来るには1時間から1時間半もあれば名古屋からも我が家からも来られるところですが、見て回ったことがなかったのです。 知多半島には「知多新四国88ヶ所霊場」というのがあって、お遍路さんがお寺巡りをしてみえますよ。実はすぐ隣の三河にも「三河新四国88ヶ所」というのもあるのです。愛知県というのはお寺さんが全国で一番多く、4000軒を越しています(ちなみに2番目は大阪府で3000軒を少し下回っています)。 そんなわけで、「野間大坊」は「知多新四国88ヶ所霊場」の巡礼者絶えないところなのです。 まずは寄り道をしながら野間大坊へと向かいます。

四国弾丸周遊 1泊2日(UZさんの遍路日記)
旅行期間:2008/05/02~2008/05/03
初四国なので見たいところはいっぱい。 2日間と限られた時間なので近場になりましたが、四国の風を感じることができました。 1日目 兵庫−神戸淡路鳴門道−鳴門海峡−渦の道−小懸家うどん− やまうちうどん(閉店後‥)−小歩危峡−大歩危峡− 大歩危祖谷阿波温泉宿「あわの抄」 2日目 宿−祖谷渓(小便小僧)−かずら橋−剣山(1955)−鳴門海峡−神戸淡路鳴門道−兵庫 なるとって滅多に見れないものかと思ってたんですけど、ちゃんと見れました。潮の干満もあるみたいですけど、日々見れるものなんですね。ほんとに渦巻いてるとはビックリです。 そして四国と言えばうどん! UODNがブームになったのは去年でしたかね。 行けばいつでもやってるものだとこれまた思い込んでいました。 ちゃんとガイドブック片手に行ったのに開店時間までチェックしてませんでした‥。 あとは自然!山も渓谷もなかなか深い感じがして雰囲気ありました。 次は四万十川とお遍路参りに。

「冬のナイアガラ」(anneticさんの遍路日記)
旅行期間:2005/12/09~2005/12/13
3泊5日の優待券旅行に当たった。(終日自由行動) 二女の大学受験を控えていて迷ったが、受験生と家族から「なかなか行く機会がないから行ってきて〜」と、エールをもらい、上の姉を誘って行ってきた。 往復ノースウエストを利用。デトロイトで乗り換え。 成田⇒デトロイト(経由)⇒トロント⇒(送迎車)⇒ナイアガラ(3泊) ⇒(送迎車)⇒トロント⇒デトロイト(経由)⇒成田 「乗り換えのデトロイト・メトロポリタン空港」 ノースウエスト航空のターミナルとなっている。入国審査の窓口はいくつもあるが、突然閉める職員あり(休憩?、交替?)別の列に並び直し時間がかかった。(帰りは、トロントでアメリカの入国審査が出来るので、デトロイトでの乗り換えは何もせずゲートへの移動だけでよい。) 入国審査⇒到着便のターンテーブルで荷物を取る⇒税関申告係が待つ場所で申告書の提出⇒航空券を見せてスーツケースを預ける⇒途中、案内モニターで便のゲート番号を確認⇒手荷物チェック⇒McNamara Terminal 「A」到着。ここの1.5?の長いターミナルは、上に可愛い赤いトラム、下には動く歩道、電気自動車が走っている。 寒々した冬景色のデトロイト。離陸前、特殊な車(噴水口付きショベルカーというような)に乗った人が飛行機体全体にシャーッと液体(融雪剤?)をかける。それが終わってからトロントに向けて出発した。  夕方、トロントに到着し、入国審査で時間がかかり、外は夜になっていて雪が降っていた。それから1時間40分車に乗り、やっとナイアガラ到着。 滝の見えるシェラトン・オン・ザ・フォールズに宿泊。 ホテルの側にカジノあり。 街はクリスマスのイルミネーションがキラキラ輝き素敵だった。 「ナイアガラフォールズ」 雪景色とナイアガラ滝は美しかった。 滝のしぶきを浴びた木々は、寒さで真っ白に氷る。フリージング・レインと呼ばれ、キラキラ光って綺麗。テーブルロックの地下から、滝を見上げて轟音を聞くことができる。ものすごい水量だ。 夜はスカイロンタワーへも行った。回転レストランで(1時間で一周する)シーフードの食事をし、展望台で美しいナイアガラの夜景を見た。 その後、下に降り、出口に向かったら、レストランで隣のテーブルにいたおじさま2人が私達を待っていた。あれ?と思ったら、姉が置き忘れたマフラーをわざわざ届けてくれたのだ。親切なおじさまは若々しくてとても80歳には見えない。食事の時、彼は、三重県から(東京の友人を誘って)念願のナイアガラへやって来たこと、女のお孫さんがセンター受験すること、お孫さん達へお土産を買ったこと、四国のお遍路話などいろいろ話された。彼と、聞き上手の姉のおかげで楽しい食事が出来た。 三重のおじさまお元気かしら?またどこかでお会いしましょう! 「郊外のナイアガラ・オンザレイク」 イギリスの面影残る小さな町は、趣があり落ち着く。 世界最小、6人しかは入れない小さな可愛い教会は、雪が舞っていてメルヘンの世界だった。 散策、ショッピング、ワイナリーで名産アイスワインの試飲もした。  「対岸のニューヨーク州、アウトレットモール」 米国経由でカナダに入ったので、すでにアメリカ出入国カードI-94Wの半券は、パスポートにホチキスで留めてある。だから国境での審査はパスポートを見せただけで入国できる。 車で15分ぐらいの大きなモールは、クリスマス前で盛大なバーゲンセールをやっていた。どの店もディスプレイが見事だった。日本の半値のコーチが、さらに30〜50%引き。(新作はその対象ではない。) 「買わなきゃ損かも。」自分用は特に必要なかったので、娘たちに無地の小さな黒のショルダーバック、トートバックと財布を買った。姉は私以上に買いまくっていた。   「トロント」 世界最長CNタワー(553.33m)、市庁舎、州議事堂の観光。 「冬のナイアガラの良さ」 現地の人の話。「寒いほど空気が澄んで滝が良く見える。混んでいない。どこのホテルも、滝の見える部屋がお手頃価格で泊まれる。」トロントのCNタワーに昇った時も同じようなことを言われた。夏は大行列で、かなり混雑するらしい。 冬の景色は灰色がかって寒々と見えるが、混雑することなく、ゆったりと有意義に過ごせるので、お得かも。 寒さの苦手な私は、どうなるか心配だったのだが、ナイアガラもトロントも私が行った時はそれほど寒くなかった。ナイアガラは昼にー3℃、夜はー10℃だったが、東北より暖かく感じた。 当時、雪が降ったのは暖かいからで、マイナス10〜20℃になる1〜2月の方が、あまり雪は降らないという。 帰国して「蔵王おろし」の西風がとてもとても冷たく、骨の髄までビリビリしびれる感じがした。(気温はナイアガラより高いのに。)

大窪寺の紅葉(ちいちゃんさんの遍路日記)
旅行期間:2008/11/27~2008/11/27
大窪寺は四国八十八箇所霊場の第八十八番札所。 お遍路さんのクライマックスですね。 実際この日もたくさんのお遍路さんがお参りをしていました。 そしてかなりの山道で到着するまで2時間ほど彷徨いました( ̄▽ ̄;) 途中雨が降ってしまったのですがお寺の方が傘を貸してくれたり、 道を教えてくれたりと親切にしてくれたのが嬉しかったです。

CDGで名古屋弁*遊路(ユーロ)半突きの旅(十五日目)(たぽじいさんの遍路日記)
旅行期間:2008/06/18~2008/06/18
6月18日(水)   午前6時、目覚ましに起こされた。いつしか眠ってしまったようだ。起き上がって眩暈の事を思い出した。良かった!!。眩暈をしてない。感謝、感謝。  台所へ行ってセントレアで買ったコーヒーの最後のやつをつくる。準備してあった小さな薄いパンをトーストし、バターを塗りオレンジジャムをつけて食す。ビスケットみたいなのをコーヒーに浸して食べる。  トイレに行って戻ると携帯が光っている。家内から電話があったみたいで掛ける。家内が出ていきなり「お父さん今どこ?」と言うので「ローマだよ」と答えると、「あれっ、今日帰るんじゃなかったの」と言う。私が帰ると思っていたのに帰らないので、心配になりセントレアにまで電話したと言う。こちらの日付で18日に帰るが、日本時間では19日なるから残してきた計画表にそう書いてあるだろうと言う。どうも家内は日本時間の欄を見てそう思ったみたいだ。「19日のお昼にセントレアに着くから」と言って切る。  荷物をパッキングし予定より早いが8時19分に宿を出る。32分、駅に着く。ちょうど52分のレオナルド・エキスプレスがあったので、忘れず刻印し一番隅の24番線のホームへ行く。  43分、電車が入ってきた。ダ・ヴィンチの顔が横に付いている。大勢の人が降りてたくさんの人が乗り込んだ。席について暫くすると満員になった。皆、荷物がおおいので狭くなって隙間が無い。それでもどんどん人が乗り込んでくる。  55分、列車が動き出した。9時8分、トラステヴェレ駅通過。本日は晴天である。日差しがきつい。昨日が雨のせいか遠くの山が煙っている。  9時25分、空港着。狭いホームを前から来る人を避けながら真っ直ぐ空港への通路を歩いていく。どんどん進みターミナルの分岐点に来ると案内のモニターが幾つかあった。まだ早すぎて私の乗る便の表示は出ていない。12時45分までの便しか表示されていない。仕方なく立って待っていた。10分ほどしてようやくAF1505 PARIS CDGの表示が出てBターミナルと分かった。分岐点を右に曲がり長い通路を行って表示に従い突き当たりを左に曲がると、すぐに出発ロビーであった。しかしこの二階は売店ばかりで、チュエックインカウンターみたいなものは見当たらない。少し焦る。人の流れを観察すると、ロビーにやって来た人はエスカレーターで一階に降りていく。それでついて降りていくとチェックインカウンターがあった。    いくつかモニターがあり便毎のカウンターの番号を表示していた。私の便はデスク221とあったので行ってみる。パスポート、アメックスのカード(支払い証明)、eチケットのプリントを用意してデスクに差し出す。係りの女性は「ナゴヤ?」と訊くので「シ」と返事して、大リュックを見せ「スルー・トゥ・ナゴヤ」と言うと、「ノー、ノー」と言った。えっ、パリまで持っていくのか?と思ったら「テン……??」とか言って指差した。そちらを見てもわからない。他の場所へ行けというのかと思ったら、時計を指したみたいでプリントに{10:30}と書いて「この時間になったら来い」と言った。早すぎたのだ。早すぎるのも考え物だな、余計な心配をしてしまう。  とりあえずほっとして二階にあがり、ロビーの椅子に座って日記を書く。あの感じでは搭乗券も貰えそうだしな。    チェックインした後の事も調べなくてはと思い一階に降りていく。チェックインカウンターの奥にデパーチャーゲートがあって、チェックインを済ませた人がどんどん入っていく。ここへ来ればいいのだなと思った。そのままそこらあたりで時間を潰し、時間になったので221のデスクに行く。すでに4組くらいの家族が並んでいる。そこへ並んで待ち次が自分の番になったら、222のデスクのお姉さんが手招きしたので寄っていく。そして三点セットを差し出すと、「バゲッジ」と言うので大リュックを計量台に載せる。7キロだ。「ベルトに載せて」というので載せるとタグを付け、私のパスポートの表紙にクレームタグを貼った。貰った搭乗券は二枚でパリー名古屋間のもあった。  搭乗券も全部貰え身軽になって、ゲートの列に並ぶ。皆、搭乗券とパスポートを手にしているので私も倣う。係員がその二つをチェックし、そのあと手荷物検査。トレイにベスト、コインケース、キーリングなど入れ、生意気にも「テレフォニーノ?」と係員に携帯を見せると「置け」と言った。ゲートを通るとピッと鳴ってしまったが、ボディチェックでOK。荷物のところへ行くと綺麗なお姉さんが、私の飲みかけのペットボトルをリュックから抜き取り「ダメよ」と言う風に首を振った。その表情の粋な事。手まねで「捨てて」というと、飲む仕草をして「ここで飲むか?」ともいってくれたが「捨てて」と言って荷物を受け取る。こちらの女性はこういう時の仕草や表情が可愛いし粋だな。  10時50分、出発のB6ゲートにたどり着く。時間は充分ある。又、日記をつける。するとボールペンが壊れてしまった。ペン先のボールが外れたみたいだ。他の筆記用具は大リュックの中だ。とりあえずバールに行く。カプチーノ(1.2ユーロ)、クロワッサン(0.9ユーロ)を頼む。まだ何かで必要になるかも知れないので、ユーロを使い切るわけにはいかない。売店に行きボールペンを買う。水彩画(印刷)と小さなおもちゃがあったのでついでに買う。ボールペンは日本のメーカのものだった。  またB6ゲートに戻り息子にメールを打つ。朝、宿でトイレに行ってから4時間経つので、Serviza というトイレに行くと無料だった。  12時30分、搭乗時間になっても受付が始まらない。係員が3人ほど集まって何か深刻そうに話をしている。横のパソコンの画面には真っ赤な文字列が。何かあったのか心配になる。もうすでに気の早い人が並んでいる。私も並ぶ。  12時40分、やっと受付が始まった。搭乗券を二枚持っている人もいるので私も二枚持って待つ。番が来て係員に二枚とも渡すと半券を千切り渡してくれた。受け取って歩きかけると呼び止められた。何事と戻ると何か言って大きい券を渡してくれた。名古屋行きのだ。これは渡してはいけなかったのである。  12時46分、ようやく17番の窓側(機種に向かって右)に落ち着く。両側3列の座席だ。隣は若いカップル。前席ポケットに緊急用パンフレットがあったので見ると機材はエアバスA121とあった。飛行機に乗る時コクピットのドアが開いていて初めて操縦席を見た。  こうして離陸を待っていると、まだ気が早いが(乗り継ぎと言う難問がある)この旅の事が頭を巡ってくる。あとは無事日本に帰ることのみだ。  13時9分、機がバックしだした。いよいよ離陸だ。  13時22分、滑走路に出て加速する。無事離陸する。上昇する時綺麗な海岸線が見えた。砂浜にパラソルや人影も見えた。イタリアって本当に綺麗な国だなと思った。地中海も真っ青。島などを夢中になって撮っていると思いがけず昼食が出た。    ふと座席を見るとカメラを取り出そうとした時、邪魔になりパリで買ったポテトチップの袋を出したのだが、気圧が薄いのかパンパンに膨らんでいた。破裂して「パン!!」と音でもしたら「テロだ!」という騒ぎになると思い、必死でリュックに入れようとするが膨らんでいるので入らない。何とか押し込みチャックを閉めると、チャックに食い付かれたのか袋がしゅーっと音がして小さくなった。これで湿気てしまうが仕方ない。  安堵して昼食をいただく。フランス料理は食べた事無いが、色々手を掛ける料理と聞いていて、あまりいい印象を持っていなかったが、手間を掛けたようなパイ包みとかゼリーで固めた色んなものが詰まったものとか、今まで経験の無い味でおいしかった。  コーヒーをいただきまったりとする。14時10分、雲の上に尖がった峰が見えてきた。真っ白な山が幾つか見えた。写真に収める。15時すぎ機がどんどん降下していく。モザイク模様の耕作地が広がっている。見る見るうちに村々の家が大きくなってくる。  15時10分、パリCDGに無事着陸。さあ、いよいよ乗継だ。緊張する。機から出てしばらくは出国する人も乗り継ぎする人も(フライトコネクション)一緒に進んで行ったが、途中で分かれていった。そこの表示には私のF52ゲートはF41〜F56のグループにあった。近くにいた女性係員に念のためにチケットを見せて、案内表示を指差すと「OK」と言った。表示に従い通路を歩いていくとゲートがありパスポートチェックがあった。  ゲートは二つあり右のゲートに行くと、係りは坊主頭の強面のお兄さんだ。チケットとパスポートを差し出しながら「ヴォンジュー」と言うと、ニッコリして「コンニチハ」と言ってくれた。パスポートなどを受け取り「メルシー」と言うと「アリガト」と言いながらウインクした。かっこいいウインクだった。  気持ちの良い対応と「これで済んだ」という気持ちでルンルンで歩いていくと、また前方にヒモゲートが見えた。取っ付きに女性係員がいて、またチケットとパスポートのチェック。ローマで引き千切ったチケットをみて何か言っている。「ローマエアポート、スタッフ、ブレーク」と言うと何か言って「ワン?」と言うので「ワン」と答えると通してくれた。私の後ろにたくさんの日本人がいて恥ずかしかった。次は手荷物検査だ。厳しそうにみえたので前の男性に習って、ズボンのベルト、隠し財布二つも外して行くと無事通過した。するとまた女性の係りがいてまたチケットとパスポートを見せろと言うので、トレイの中のベストから取り出し見せた。かなり厳重なチェックだな。  時間を掛けて忘れないように出したものを収める。隠し財布とりあえずリュックに入れた。これで無事通過だ。トイレに寄ってから表示に従い行くと先には何も無い。エスカレーターがあったので上にあがると、目の前にF52の表示とJAL NAGOYA 18:00という文字が飛び込んできた。あぁ、乗り継ぎを済ませられたと安堵した。  旅行関係サイトでよく乗り継ぎが心配という質問があるが、確かに私も本当に心配したが、考えてみれば乗り継ぎが難しければ、あちこちの空港で乗りそびれた人が続出するはずだが、そんな事は聞かれない。ちゃんと乗り継ぎが出来るようにシステムが出来ているのだと思った。  名古屋行きの反対側には成田行きの表示があった。そのせいか日本人が多い。落ち着いたところでユーロを減らすために下に降りていく。まずバールに行きコーラ(1.8)とアクア・ノンガス(2.1)を買う。これでコインは0.1ユーロのみ残った。残してあったユーロ札を使うためお土産屋に行く。入っていくと日本人観光客がたくさんいた。  「あんた、それ似合うがねー」とか「そんなの合わんわー」と名古屋弁が飛び交っている。何か嬉しくなってきた。名古屋弁を聞いて嬉しくなるのは初めてだ。やっぱり俺は日本人で、名古屋人だなと思った。  そこで手帳を二つ買った。店番のインド人らしき女性が何か言ったが分からない。すると「トウジョウケン」と言った。そうか搭乗券を見せないと買えないのだな。おつりが2ユーロのコインだった。これは持って帰ろうかな。  ゲートの前に戻り椅子に座って日記の続きを書く。日本語でアナウンスがあり「機内の掃除が遅れ搭乗受付が少し遅れます」との事。あぁ、もう日本式だと思った。  17時42分、搭乗開始。チケットが千切ってあるので、二人の係員のうち日本人スタッフの列に並ぶ。「ローマの空港で千切られました」と差し出すと、係りの女性は座っているスタッフにセロテープで張り合わさせ、機械に通させた。  17時50分、予約したH46の席に座る。またも右側の3列通路側。そして他の2席は誰も来ない。リュックからスリッパ、空気枕、プラハから持ってきた靴スベリを出し、リュックを棚にしまう。カメラは出さず。前も後ろも二人ずつ、往きの時より乗客は少ないみたい。  18時、キャビンクルーのフランス人のお姉さんが新聞を配ってくれたので、久しぶりに日本のスポーツ新聞を読む。段々と身体からヨーロッパが剥がれていく様な感じがする。  18時7分、タキシング開始。また延々と走る。  18時15分、ようやく離陸。さらばパリ、さよならヨーロッパ。  18時40分、「お飲み物は」と来たのでホットコーヒーを頼む。往きと同じおつまみが付いてきた。そういえば往きの時のおつまみはプラハで食べたような気がする。  18時44分、座席モニターがこわれていたのが復旧した。4年前の帰りの便もモニターが写らず、成田までこわれたままだったな。お詫びといってクーポン券をくれたが使わずしまいだった。腕時計を日本時間に変える。6月19日午前1時46分だ。  やはりJALに乗るともう日本と同じ感じがする。(AFだがコードシェア便)  映画「相棒」を見た。飛行機のなかで初めて最初から最後まで映画を見た。  2時24分、機長の挨拶、「只今、コペンハーゲン上空」との事。一回目の食事。日本食を選択、チキンカレーだった。涙が出そうな程うまかった。日本の味だ。  旅行中、日本の食べ物が恋しいとは思った事が無いが、食べてみればやはりいい。  4時頃から映画「釣りバカ日誌 お遍路編」を見る。見終わって横になって寝る。  11時頃、二回目の食事。食後、高血圧の薬を飲む。  11時50分、荷物を片付ける。トイレに行き着陸の準備をする。  12時半過ぎ、段々降下し出した。前方の海のなかに小さくセントレアが見えてきた。あんなところに着陸するのかと不安になる。だんだん大きく見えてくるが、戦争映画で見た航空母艦みたいにしか見えない。  12時38分、無事着陸。あぁ、旅は終わった。  出国審査を終えて荷物が出てくるのを待ちつつ、携帯を国内向けにセットしなおし家に掛ける。  荷物を受け取り出ようとすると税関でまたチェックがあった。申請する人もしない人も全員書類を提出せよと言う。4年前は無かったのに。書類を書いて係りの女性に見せると「荷物はそれだけですか」というので「そうです」と答えるとびっくりしていた。なんで。  何の苦労も無くキップを買って電車に乗り込む。「白い線の内側でお待ちください」「電車が参ります、ご注意ください」「ドアが閉まります、ご注意ください」。アァ、これはまさしく日本だ。  金山橋で名鉄を降り地下鉄に乗換え我が家へ。昔の通勤コースだ。  14時57分 我が家のある街の駅へ。ホームから下を見ると家の車が停まっている。改札口に降りて行くと、珍しく家内がそこで待っていた。家に帰る途中、スーパーに寄って行く。  家に着き玄関を開けると猫のデブ君が待っていた。2週間も家を空けていたので忘れられ、逃げられると覚悟していたが、寄ってきて散歩をせがんだ。良かった、忘れていない。嬉々として首輪をつけ庭を散歩する。  もう完全にヨーロッパは身体から剥がれていた。 (反省と心残り)  1、市内交通(バス、トラム)を全く利用する能力が無く、行き先を限定された。(ウイーン=ヴァーグナー・ヴィラ)(パドヴァ=サンタントニオ聖堂)(ラヴェンナ=イン・クラッセ教会)(ローマ=ヴァチカン)  2、予約、並びが嫌いで幾つか入れなかった、見れなかった。 (ヴェネツィア=鐘楼)(パドヴァ=スクロヴェーニ礼拝堂) (フィレンツェ=アカデミア美術館)  3、ミラノをパスしたこと(須賀敦子さんの足跡を歩きたかった)  4、ウイーンでカフェに入らなかった事。  5、年齢によるものか、旅の後半では好奇心が磨り減ったのか、意欲が無くなってしまった。 (良かった事)  1、行った先すべて。そして各国の親切な人々に出会えた事。  2、パリで出会った、日本の素晴らしき青年たちと知り合えた事。  3、あの狭いヨーロッパに固まっている国々が、それぞれの個性を失わずにいることが、自分の目で少しは確かめられた事。                              <終わり>長文、駄文にお付き合いくださった方(殆どいないと存じますが)有難うございました。

駆け足**お遍路さん**結願寺(横峰寺)(edanさんの遍路日記)
旅行期間:2008/01/27~2008/01/27
第六十番 横峰寺 降雪のためツアーでは行くことができなかった横峰寺へひとりで逆戻り。 1ヶ寺だけお参りできなかったなんて...このままおとなしく帰宅出来るわけがない! 休暇はあと1日残っている、徳島駅で解散後伊予西条に向かう電車に乗った。 横峰寺に一番近い「京屋旅館」までタクシーに乗ったのだがその車中、運転手さんが「私は昔お遍路をした時、ここで弘法大師さまに出会った事があります。お姿は紫色の光でした。」と私に言った。日も落ちて街灯もない山の中の細い道を走り続ける中、私は「それはありがたい経験でしたね。」とだけ言ってあとは黙った。 京屋旅館別館「歓喜庵」は立派なお宿です。 私がお世話になったのはそこではありませんがお風呂は別館にあり、これがとてもよいお湯で、このお湯に浸かる為だけにまた来てもいいかなと思えるくらい。 なんだか勢い余ってここまで戻って来てしまったが「明日はずいぶん歩くんだろうなぁ」とちょっと不安を抱えていた気持ちと疲れのたまっていた体の私は、いいお湯と暖かい布団に「このままのんびりして帰ろうか」と誘惑される。 が、翌朝起きると体調気力ともに絶好調な感じ、力が有り余っていた。 雪の残る凍結した山道をゆっくり2時間30分ほどかかって横峰寺に到着。 本堂にはまだお線香も蝋燭の火も灯っていない。 どうやら一番乗りだったようだ。 手を清めて本堂に戻ると他のお遍路さんの姿を見かけた。 初めて一人でお経を上げて納経帳に御朱印を頂く。 これで八十八箇所コンプリート!(まだお礼参りの高野山が残っているが) お寺で頂いたお接待のお菓子でますます元気が出た。 疲れたときの甘いものの威力は大きい。 上りでも滑りそうだった凍結した急勾配の道路は帰りにはかなり注意が要るが、行きにはどのくらい歩くのだろうという不安な気持ちで目に入らなかった風景も見えてきた。雪がない道では走り出すと止れなくなる、途中で座って休んでいると何人かのお遍路さんが同様に走りながら通り過ぎていった。途中、往路で目にして気になっていた鉄骨が組まれていた場所で作業をしている人がいた。あいさつを交わすとお接待に招かれ、飲み物を頂きながらいろいろと興味深い話を聞かせてもらった。彼もまた遍路の末、この土地に縁があった人らしい。 宿に荷物を置かせてもらっていたので戻ると「インスタントだがラーメンを食べるか?」と聞かれ、遠慮もなくいただく。 ここ1週間、食べたものの中で一番おいしく感じた。 ”体を動かし疲れたあとにおなかが満たされて体が温かくなる時”は、私にとっていちばん幸せを感じる時なのではないかと思った。 「京屋旅館」でお世話になることが出来てよかった、横峰寺にひとりで参拝しに戻ってよかった。 この日をなくしては今回の四国巡礼旅は無意味なものになっていたと思う。 88箇所中たった1ヶ寺だけだが、やっぱりお遍路さんは自分の足で歩くことに意味があるのかなぁ...と考えさせられた。

駆け足**お遍路さん**愛媛(edanさんの遍路日記)
旅行期間:2008/01/22~2008/01/23
愛媛県に入った頃にはお参りの手順にも慣れてきていたし、松山、今治あたりではお寺の間隔も近いからスムーズにまわれる。 しかし連日の寒波による雪のため、石鎚山に近い横峰寺(60番)への道は凍結していた。 車で登るのは無理なので、ツアーの日程内では参拝することは不可能になってしまった。 運転手兼案内人の方が後日代参してくださるとのこと。 この方は非常に人が良く、悪天候はまるで自分の責任であるかのように皆を気遣ってばかりいた。 もちろん天候が良い悪いは誰のせいでもない。 よくグループ旅行の中で、天気が良くないと「雨男(女)はだれだ?」という発言が決まり文句のように聞こえてくる。たいがい、この話題は天気が回復しない限り何度も繰り返されるようだ。 ....... 愛媛(40〜65番)一菩提の道場 第四十番 観自在寺 第四十一番 龍光寺 第四十二番 仏木寺 第四十三番 明石寺 第四十四番 大宝寺 第四十五番 岩屋寺 第四十六番 浄瑠璃寺 第四十七番 八坂寺 第四十八番 西林寺 第四十九番 浄土寺 第五十番 繁多寺 第五十一番 石手寺 第五十二番 太山寺 第五十三番 円明寺 第五十四番 延命寺 第五十五番 南光坊 第五十六番 泰山寺 第五十七番 栄福寺 第五十八番 仙遊寺 第五十九番 国分寺 第六十番 横峰寺 第六十一番 香園寺 第六十二番 宝寿寺 第六十三番 吉祥寺 第六十四番 前神寺 第六十五番 三角寺

ちょこっと姫路城(area88さんの遍路日記)
旅行期間:2008/11/03~2008/11/03
高野山に行った翌日のお話。 ふんとは、高野山の夜は、有馬温泉に行きたかったのだが 時間的な問題から、大阪に戻って梅田(福島)にあるホテル阪神に宿泊。まー、ここも温泉があるから決めたわけだが・・・。 ちなみに、このホテル、部屋のユニットバスで温泉が楽しめるというツワモノ。しかし、ユニットバスなので普通に狭い。 そんで、翌日。 朝から悩む。 せっかく大阪にいるのだ、このまま帰るのはもったいない。 琵琶湖、京都、奈良の大仏など、いろいろ考えた。 協議の結果、まで行ったことのない姫路城に行くことに決定。 遠かった・・・。 関西方面の地理を把握していないので、ある意味、何処にでもいけるのが怖い。 それにしても、立派な城であった。 結構各地の城を観にいっているのだが、恥ずかしながら姫路城は初めて。これこそが昔建てられた本当の城である。 さすが世界遺産。それも、日本最初の世界遺産らしい。 そして、疲れた・・・。 遍路を終えたその足で、 金比羅さん、 高野山、 姫路城だ。 その上、連休最終日の新幹線は、予想通り満員御礼。 乗車率120%ってところか。 もちろん指定席券が取れるはずもなく、 数少ない自由席で、殺気立った椅子取り合戦に参戦する羽目になるし・・・。 貧乏性って困りもの、余裕がある旅行をしたこと無いです。

西安3泊4日満喫ツアー?(junkoさんの遍路日記)
旅行期間:2008/10/09~2008/10/12
西安3泊4日ツアー?のつづきです^^ 10月10日〜2日目〜 8:00ホテル発 8:55 華清池 9:35 ここは言わずと知れた、玄宗皇帝と楊貴妃が愛した別荘。 天然の温泉も湧き出ているので、現在も保養地として利用されています。足湯だけでもできるんですが、ツアーでは時間の関係上、紹介してません。 ここでの見どころは、楊貴妃が32歳の時に玄宗皇帝から贈られたお風呂。ハスの花の形をしていて、とてもかわいらしいのです♪ほかにも皇帝専用の浴室や、皇太子の浴室、宦官の浴室まであります。もちろんお湯は張られていないけど、当時この浴槽で、楊貴妃が何人もの侍女たちにかしずかれて入浴していたのかなあと思うと、ロマンチックですね^^ 温泉の源泉もあり、実際にお湯にさわることもできます。ただしそこだけ別料金1元が必要です。ここの温泉で顔を洗うと、美肌効果テキメンなのだとか。 白居易の「長恨歌」にも、楊貴妃がここで肌を磨いた様子が歌われていて、その石碑も園内に建てられています。 ちなみに、楊貴妃にかくれてあまり知られていないけど、ここはかの西安事件の際に、蒋介石と張学良が滞在したことでも知られています。 日本人にとってはあまり歓迎される話題ではないので、Gさんもサラッと話すだけですが。 (〜秦の始皇帝の陵墓を車窓から〜) ※そういえばこのあたり一帯は石榴の産地。車道の両側に石榴を売る出店がズラリ。日本ではあまり食べることがないので、私も中国で初めて食べたときはびっくりしました。 果実を割ると、中にピンクの、小さいツブツブがぎっしり!一瞬グロテスクなくらいですが、そのツブツブが甘酸っぱくておいしいのです^^食べると止まらなくなります。 今回も買って食べようと思ったんだけど、タイミングを逃して買えなかった(TT)残念。 9:50 兵馬俑坑 11:40 90元 西安と言えば、ひいては中国といえば、すぐに思い浮かぶのがこの兵馬俑坑ではないでしょうか。 あまりにも有名な世界遺産ですが、今から34年前の1974年に、1人の農夫によって発見されました。 現在はかなり整備されて近代的な観光地になりましたが、当時は周りになにもない、簡素な建物の中で見たそうです。30年前に来たことがあるお客さんがおっしゃってました。 たしかに、今のようなコンクリートの建物の中で見るよりも、ふきっさらしの中で見るほうが、リアリティがあって感動もちがうんじゃないかなあ。 兵馬俑坑の敷地の中には、第1〜3坑の坑と、陳列博物館の計4つの建物があります。 ツアーでくると、たいてい第1〜3坑だけみて終わりです。 各坑それぞれ展示物に違いがあるのですが、 まず、よくテレビやパンフで見る兵馬がズラーっと並ぶ光景が見られるのは、第1坑。 ここは兵馬俑坑のなかで最大の坑で、面積14200?、約6000体の兵馬が38列になって並んでいます。 どれも当時の人馬を等身大にしたものと言われており、兵士の像は、身長178〜197cmまで、さまざま。 しかし、実際には当時の平均身長は約161、2cmだったというから、かなりの誇張があるようです。 そしてここでは、この6000体の兵馬をバックに記念写真も撮れます。有料。 専属のカメラマンが撮ってくれて、1枚150元。その日中にレストランorホテルまで届けてくれます。 支店長さんのご希望で、私たちも全員でパチリ。 ちなみに、坑内は写真撮影できますが、フラッシュは禁止です。 第2坑には、兵馬のほかに、戦車や騎馬も展示されており、中でもガラスケースに入った5体の兵馬が見どころ。 発掘された兵馬のなかで、唯一完全な形で残っている5体が展示してあります。 この5体の中の1体の兵士が、ひざまずく格好をしているんだけど、靴の裏をよーく見ると、なんと滑り止め加工がされているのです! 現代でも、よくスノーシューズの裏についてるような、ギザギザしたやつです。 当時の人も同じようなことしてたのね〜と、なんだかうれしい新発見。 第3坑は・・・よく覚えてないのです(^^;でも、1,2に比べるとあまり見ごたえはなかったかも。確か発掘途中の遺跡があったような。 我々は最後に売店へ。 この売店の売りは、兵馬像のミニチュアセット600元。もちろん値切れます。 ただ、このミニチュアセット、外では10元で売られている。この60倍の値段の差をどう説明すればいいのか。 Gさんに助けを求めると、この売店で売られている兵馬像は、すべて第2坑の土を使って造られているとのこと。 なるほど!それなら価値がありますね! 実は、以前私がプライベートで来たときに10元のミニチュアを買ったんだけど、買った翌日にすぐ首がとれてビックリしたことがありました。やっぱり安いものには理由があるんだなあ。 ・・・と自分の経験談をお客さんに話していると、売店の一角で急に湧き上がる歓声とフラッシュが。 なんだなんだ?と思って近づくと、なんとこの兵馬俑坑を発見した農夫の方が!アイドルのように写真撮影とサインに応じてました。 私も〜と思い、サインを求めると、 「サインはこのパンフレットを買った人にだけします」と、1冊200元のパンフレットを差し出す。 では写真だけでも、とカメラをかまえると、 「写真も、パンフレットを買った人のみです」と、あっさり拒絶。 商売だなあ〜(@@)パンフレットは日本語版もあります。出せない額じゃないけど、わざわざ買うのもなあ・・・というわけでサインもカメラもあきらめました。 そしてのちに知ることになるのですが、このパンフも外では20元で販売されてました。 お客さんの1人がそれを買ってみたところ、 「20元のパンフはコピーだ!あきらかに色が滲んでるところがある」とのご指摘。 うーん、やはり安いものは安いんだなあ、と納得。 そろそろお腹が空いてきたのでランチへ。 11:50 ランチat「秦皇御膳」 12:50 兵馬俑坑隣接のショッピング広場の一角にあるレストラン。前に来たときはなかった。 Gさんが朝から、「今日のレストランは市内とちがって田舎の料理ですからおいしくないです」とキッパリ(すぎるだろ!)説明していたので、私たちもどんなのが出てくるんだろうとドキドキしてましたが、意外にもみんなおいしくて、満足でした。 お客さんも、意外とおいしかったよ〜、とニコニコ顔^^ お店の前ではざくろや杏仁(アンニン:殻付きアーモンドのようなものなんだけど、味は杏仁豆腐のシロップの味!前に来たときに食べて好きになってしまい、西安に来るたびに買い込んでます。)が売られていました。また次のところで買えばいっか〜と、ここで買うのをやめてしまったのですが、これがあとあと後悔することに。→この先の観光地では買う場所がなかったのです(><)やっぱり買いたいと思った時に買っとくのがおみやげですね。 13:35 青龍寺 14:15 このお寺は、あまり有名なところではないけれど、日本人と縁のあるお寺です。 804年、弘法大師・空海が遣唐使として長安にやってきたときに滞在したお寺なのです。 空海はここで真言密教を学び、帰国後は高野山に真言宗・金剛峯寺をひらきます。 境内には空海紀念堂や空海紀念碑、日本から贈られた1000本の桜の木などがあります。 空海は四国出身ということもあり、ここ青龍寺は四国88か所めぐりの起点としても知られています。 紀念堂の中には、お遍路さんたちがここを訪れたときの写真なども飾られていました。 また、春の季節は桜が咲いてとても美しいのだそうです。 さっきまでの喧噪はどこへやら、ここはとても静かです。 日本語の寺専属ガイドさんが丁寧に案内してくれました。 最後、門の外に出てきて目の前に広がる景色を見て、ハッとしました。 わたしはここに来たことがある!! もちろん仕事ではなくて、私が学生時代西安に来たときに、来ていたのです。 当時は西安市内からここまで友人たちと40分ほどかけて自転車で来たのです。 このお寺は高台にあるので、自転車で登るのに一苦労しました。 ヒイヒイ言ってたどり着いたら、なんと閉まっていて、中に入れなかった(ーー)。 仕方なく、門の前に自転車を停めて、そこから見える眼下の街の景色を皆でだまって見つめていました。 その時の情景が一気によみがえってきて、なんだか懐かしさがこみあげてきて、うれしくなりました^^ 14:25 ショッピング(友諠商店) 15:25 総合民芸品店とうたっているけれど、国営のため、店内のものはおしなべて高い。 質の保障はあるんだろうけど、外で買えば10分の1の値段で買えるのに・・・という物ばかり。(こういう比較をすること自体いけないことなんだけど) メインはヒスイやめのうの宝石類、工芸品、シルク製品、掛け軸など。 今回のお客様は男性ばかりだから買い物するかなあ、と心配だったんだけど、さすが地主さんたち。 懐はあたたかいようで、結果的にはけっこう買物してました。 ここで少し余談になりますが・・・ ツアーにはたいていショッピングが含まれていますね。 中国の2泊3日ツアーなら、たいてい3件は立ち寄ります。 実はこのショッピング、マストなんですね。 よく、「このツアーでは○件の土産物店にご案内いたします」とパンフに記載されているの、ご存じですよね。 でもこれ、言葉を換えれば、 「このツアーは3件のショッピングが条件になっています」ということで、要はツアー中に最低3件の土産物店に立ち寄らないと、ツアー催行させませんよ、という現地手配会社からの宣言なのです。もちろん、我々旅行会社に対してですけど。 私はこの「ショッピング」があまり好きじゃない。 もちろん、これがないとGさんや現地会社の収入にならないのは知ってる。 お勧めできる店や商品があるならいいけど、ツアーで行く店はそうでない店が多い。とくに中国。 特に今回のように少人数のときは、特に気が重い。店員と客が1対1になってしまうから。 店員の説明には熱が入っている。その熱情に折れて、何も買わないのも悪いからといって買ってしまう方を見ると、お客さまごめんなさい(><)というキモチ。 逆に、全く何も買わない方ばかりだと、Gさん、お店の方、ごめんね(><)というキモチ。 もちろん買い物は強制じゃないから添乗員が口に出して薦めることもできず、かといってGさんも強い押し売りのようなことはできず。 財布のひもがキツイ日本人客はなかなか買おうとしないんですよね。 欧米人の買い物の様子を見ると、うらやましくなってしまう。 なんで日本人は購買欲が低いんだろう??いまだにナゾ。 以前、とあるGさんが言ってました。 「せっかく旅行に来てるのに買い物しないなんて信じられない!日本人はなんで買い物しないの?日本人はおかしいよ!」 さすがに言いすぎではと思うけど、たしかに日本人の購買欲は他の国のお客さんたちに比べるとその差は歴然。 でも、添乗員がひとつ何かを買うと、みんなこぞって同じものを買い始める。これもよくある日本人客の特徴。 集団心理ってやつですかね・・・(^^; かなり話がズレましたが、この友諠商店、今日はガランとしていたけど、2年前まではいつも満員だったそうです。 ここ2年で一気に日本人客が激減したことが影響してるらしいです。オリンピックとか、食品問題の影響もあったんだろうけど、ツアーに参加して西安に来ること自体、少なくなってるんじゃないのかな・・・ 15:45 碑林博物館 16:45 ここは西安で兵馬俑坑に次ぐ有名な観光地。 碑=石、林=そのまま林、で「石の林」という意味です。 書道を嗜む人にとってはここは聖地なんだそうです。 私たちが書道の授業でお手本にした、王義之や顔真卿らの石碑があります。 つまり、お手本にした彼らの書の本物があるのです。すべて石碑に彫られているのですが、その数約1095基。 まるで林のように石碑がズラーっと立ち並んでいます。すごい圧倒感。 この碑林、もともとは孔子廟でした。その後陝西省歴史博物館を経て、碑林博物館となったのはごく最近のことなんだそうです。 入口には、孔子廟だった時代の門が残されています。 昔ここは科挙の試験会場ともなった場所で、この門をくぐって中に入るときに、試験監督は真ん中から、受験生は左から、スタッフは右側から入る決まりがあったそうです。おもしろいですね^^ そして、入口はいって最初にお目見えする巨大な石碑は、唯一皇帝が直筆で書いたといわれる石碑。 文字がびっしりで、何が書いてあるのかわからないのですが、達筆。昔の人は字がうまかったんだなあ〜。 また拓本の様子も見られます。そしてその場で販売もしてます。 中は独特な墨の匂いが充満。 書道に興味がない人はつまらなく思うかもしれませんね。 今回のお客様のなかで書道を嗜む方がいらしたので、その方のみ歩くペースが遅くなりがち(^^;そういう方にとっては1日いても飽きない場所なんだろうなあ。 18:50 夕食at「天龍宝厳素食館」 20:00 京都にある天龍寺・宝厳院をご存じでしょうか? その天龍寺が経営する精進料理のお店です。 ここは中国だから、もちろん料理は中華。でも肉類は一切使っておらず、野菜やシイタケ、豆腐などで作られています。 どれも上品なあっさり味で、おいしかったです。 お客さんもいっぱい入っていて、繁盛している様子でした。 20:15 ホテル着 おつかれさまでした! 明日は西安の西の郊外へでかけます☆

満願お礼参り**お遍路さん**高野山(edanさんの遍路日記)
旅行期間:2008/11/01~2008/11/02
今年の1月に巡った四国八十八箇所、遅くなってしまったが満願のお礼参りに高野山へ行くことに。 金曜の夜、仕事帰りに高速バスに乗って大阪へ。 なぜ深夜バスにしたかというと、新幹線ですんなり行ってしまったのでは味気ないような気がしたからだ。 高野山に着いたのは翌日の昼、高野山駅からバスに乗って奥の院口で降りた。 景色はすっかり秋色、奥の院への参道をゆっくりと歩く。 お参りをしてから納経帳に御朱印を頂いた。 私のはじめての四国八十八巡礼はこれで一区切り...すこし寂しい気がする。 その日は高野山の宿坊寺院、普賢院に一泊することにしていた。 お寺に荷物を置いてから金剛峰寺を参拝、そして土産物屋をのぞいたりしてぶらぶら。 陽が落ちると寒い!宿に戻ってお風呂、夕食の精進料理をいただく。 宿坊は想像していたよりもずっと快適で、お坊さんたちが至れり尽くせりの世話をしてくださる。 食後にものすごい睡魔に襲われ、午後7時には爆睡。 翌朝のお勤めの時間まで目が覚めることはなかった。 早朝、本堂で勤行の後、ネパールから頂いたというお釈迦様の舎利を拝んで、マニ車をガラガラ回す。 非日常的な体験だった 壇上伽藍〜高野山霊宝館 〜苅萱堂を周ってから高野山を後にする。 ちょこっと京都へ寄って二条城見学。 高野山の宿坊、普賢院さんで焚かれていたお香がよい香りだったので、何処で入手できるか聞いたら京都の松栄堂のお香だという。 「堀川」という名の白檀の香りだが、”線香くさい”というイメージはなく甘い香りがふわっと漂う。 高野山の思い出とこの香りは切り離せないものになったのでぜひ手に入れたかった。 あいにくその日二条城見学を終えた時間には、お店は終わっていたが、あとでネットで調べてみるとウェブショップがあったので早速注文する。 高野山は位置的には決して遠い場所ではないが、日常の生活からはとてもかけ離れた場所だった。