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お遍路旅日記

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四国88ヶ寺遍路旅 13-②(natukiさんの遍路日記)
旅行期間:2012/01/07~2012/01/08
素晴らしい天気の年明けにお遍路始めをして来ました。
今年はうるう年で 逆打ちの年です。
新年そうそう団体さんも逆打ちです。
初詣の方達で賑わっているところもあり いつもとは違ったお寺の雰囲気です。

暖かい四国でも 山の上では雪も残っています。
雲辺寺ロープウェイでは家族づれや若者たちで大賑わいでした。
いろんな意味で 新しい事が始まる予感がしてくるようですね!
良い年にしましょう♪

~おまけ~
 73番奥の院の祈願日で無料送迎車で『捨身ヶ岳』に行くことができました。ラッキー! 

2011年日帰りの旅-11(鬼ヶ岩谷温泉編) (Theepさんの遍路日記)
旅行期間:2011/03/13~2011/03/13
日和佐から室戸岬までの歩き遍路の途中で看板を見て

来たいと思い、その次の週に出掛けた。

施設はまだ新しい感じであったが、4月からは休業案内

があった。 今も営業?しているかどうか?不明。

場所は国道から少し中に入っている静かな所にあった。

入浴施設は、広々としていて良かった。

夏への扉シリーズ:盛夏の四国、独占ビーチ旅行8日間(norisaさんの遍路日記)
旅行期間:2005/07/30~2005/08/06
夏への扉シリーズの続編です。

今回が5回目の四国旅行です。
5回目?と聞かれる方は、我々がお遍路さんでもしているのかと誤解します。
確かに四国の観光に関東から5回も(述べ35泊も)する方は珍しいでしょうね。

しかし四国の西南端すなわち、愛媛と高知の県境付近は素晴らしいシュノーケリングスポットがあります。いやいやシュノーケルをせずに単に海遊びをしてものんびりできます。
というのも「海水浴場」の看板があってもひとっこひとり泳いでいない海岸が結構ある、かなりのんびりしたあるいは過疎地域だからです。
ですから湘南海岸や伊豆白浜海岸などを想像して行くと大違い!夏休みだというのに全く人影もない素晴らしい海岸や浜辺が多くあります。ですからおぼれたりしたら絶対助かりません(笑)
今回もそのあたりを中心に訪ね、おいしい海の幸とカワイイ魚たち(これらは別物です!食べちゃあダメ!)を堪能しました。

宇夫階神社参拝(吉備津彦さんの遍路日記)
旅行期間:2011/12/12~2011/12/12
お遍路の途中で参拝しました。

由緒

古くからの傳によると、当神社は古くは津之郷に御鎮座になり、宇夫志奈大神と稱え奉って居た。第十二代景行天皇の皇子日本武尊の御子で、 綾君の祖先である武殻王(たけかひこのみこ)が阿野群(あやぐん)に封ぜられて下向され、部内の海岸を御巡視の折、にわかに暴風にあい御船が危うくなられた時、王は宇夫志奈大神に御祈念なさると、どこからともなく一羽の烏が御船の前にあらわれたので、王は水夫に命じて、烏の行く方に船をこがせられた所、泊浦(今の本島)について無事危難をのがれ給うた。仍って王は一層大神を仰がれた。これから小烏大神とたたえまつることとなったと。

第四十九代光仁天皇の宝亀十年に社殿再興のことが傳えられて居る。
末包家記によると第五十一代平城天皇の大同元年十月申酉の日に津之郷の長者末包和直に託宣があり、「汝わが祭祀を司りて国の守護神と仰ぐべし」と、すなわち和直は神主となり祭祀を行った。翌二年(八〇七)八月に至り、神威の輝きに依り朝廷に奏聞し、現地に社殿を造営し、神霊を遷し奉ったと。

第五十六代清和天皇の貞観六年(八六四)十一月十五日に勅使下向し位記を進め位田を賜い正六位上より従五位下を授けたまい、更に第五十九代宇多天皇の寛平三年(八九一)九月二十四日に従五位上に昇叙された。国司に見えたる社即ち国史現在社である。(宇夫階神社誌より)


世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の地をゆく【1】~熊野速玉大社が鎮座する新宮へ~(紅い翼さんの遍路日記)
旅行期間:2011/07/27~2011/07/29
2泊3日の旅の1日目前半(2011/7/27)。

7月初頭に福岡から東京に転勤となり、なかなか時間が取れずにいたのですが、7月下旬にはだいぶ落ち着いてきたので、以前から一度訪れてみたかった紀州熊野へ2泊3日の旅にゆくことに。

まず最初は、熊野の玄関口にあたる新宮へ。
熊野三山のうちこの地に鎮座する熊野速玉神社へ向かいます。
3日間の小さな遍路の旅が始まります…。

〔1日目前半の行程〕
・東京駅~名古屋駅~新宮駅~新宮市街(浮島の森~神倉神社~熊野速玉大社~新宮(丹鶴)城跡~徐福公園)~新宮駅

〔1日目後半&2日目前半の旅行記~「祈りの道」の終着点熊野本宮大社から川の参詣道を下る~〕
http://4travel.jp/traveler/akaitsubasa/album/10621243/

〔2日目後半の旅行記~熊野那智大社と那智大滝に詣る~〕
http://4travel.jp/traveler/akaitsubasa/album/10623595/

〔3日目前半の旅行記~大辺路串本の絶景を巡る~〕
http://4travel.jp/traveler/akaitsubasa/album/10628289/

〔3日目後半の旅行記~熊野古道の分岐点の街で武蔵坊弁慶と南方熊楠に出会う~〕
http://4travel.jp/traveler/akaitsubasa/album/10631237/

※ この旅行記は、2011年9月の台風12号到来前のものです。

四国霊場 六番札所 温泉山 瑠璃光院 安楽寺(吉備津彦さんの遍路日記)
旅行期間:2011/11/15~2011/11/15
安楽寺の境内は温泉山という山号からも解るように2キロメートルほど離れた安楽寺谷という場所にありました。当時この周辺には赤錆び色の温泉が沸き万病に効くとされ、各地から湯治に訪れる人も多かったそうです。弘法大師も四国行脚中にこの地を訪れ、この土地が病疫から人々を救う薬師如来と深い因縁で結ばれているとして坐像を刻み堂宇を建立して四国八十八ヵ所第六番霊場と定めました。
 本尊はとても大きいのですが実は弘法大師のものではありません。昭和37年に不治の病として医者にも見放されていた愛知県の水谷しずさんという婦人が、夫とともに藁にもすがる思いで病気平癒の願をかけて巡礼に出かけました。その旅の途中に夫人の病気はみるみるうちに快癒していくといった霊験を得て感激し、奉納した仏像だと言われています。元来の本尊は体内仏として納められています。


 池の傍らにある松の古木は、弘法大師を守って流れ矢を受けたとされる伝説の逆松(さかさまつ)で、根本には小さな大師像が置かれています。大師は折れた松を逆さに植え、「もしこの松が栄えたらこの地を踏むものは、災厄を逃れるであろう」と言われたそうです。

 本堂と大師堂の間にある「願い棒修行」は京都の東寺でも行われているもので、願い方は大師象前の願い棒を自分の年齢分手に握り、願い事、年齢、氏名を言い、般若心経を唱えながら右回りに修行大師の周りを回ります。その後正面にくると願い棒を1本宝前に置いて残りは戻し、南無大師遍照金剛を7回唱えると願い事が叶えられると言われています。

 宿坊は、江戸時代には宿に困った遍路や旅人を泊めて保護するようにと藩主から指定された<「駅路寺」でもありました。八十八ヵ所の宿坊の中でも規模が大きく、温泉の大浴場も20人くらい入れる広さがあり、食事も魚介類などを使った和食で現在でも人気があります。宿泊料は2食付きで5,800円程度、素泊まりも可とのことです。


【安徽省】 九華山 * 旅する(彷徨人さんの遍路日記)
旅行期間:2004/03/24~2004/03/30
          

                田一枚  残して谷間  菜の明かり


   午前7時の上海発安徽省の【銅陵】行きの特急は、清明節の墓参りに向かう人で満員であった。
 
   長江(揚子江)の南、江南地方は、いまや菜の花盛り、まさに杜牧の“江南春”を絵に描いたような季節であったが、四大仏教霊地の一つである地蔵尊を本尊とする安徽省の【九華山】は、木々の新芽がやっと芽吹き、朝晩はまだ寒く火の恋しい季節であった。

  7時間ほどで安徽省の【銅陵】に到着した。駅近くのバスターミナルで、バスに乗り、市街地を抜けると、山道に入った。朝早かったので、やがて僕は寝込んでしまった。ざわめきで目が覚めると、2時間半ぐらいのバスの旅で、九華山の麓に到着した。バスを下り、入り口で90元の入山料を支払い、ありがたき、霊地九華山に足を踏み入れることが出来た。
   九華山は新羅の皇族の一人が出家して開山した山であるので、韓国からの観光客が多く、今や中国の観光地では当たり前のごとく見られる日本語は、ここではどこかに追いやられ、やたらハングル文字が目立つのである。
辺りを見回せど、わが同胞は珍しく見当たらず、それはそれでまことに心細い寂しき第一歩であった。
   日本でいえば高野山のようなところで、観光はもっぱらお寺めぐりをするのである。文化大革命で壊滅的に痛めつけられた仏教界は、開放改革後はその回復も早く、今や現世的なご利益を求める善男善女で門前市をなす有様である。
   この霊地には、高僧の即身仏(ミイラ)が多くあり、金粉を塗ったミイラを拝みながらのお遍路となる。聞くところによると、死を覚ると、陶器の壺の中に入り、亡くなると、完全密閉し、3年余経過すると、悟りし者はミイラになるとのことであった。
   しかしこの山では、法界坊もかくありきとばかり、法衣のしたから派手なトックリのセーターをのぞかせ、大きな欠伸をしながらの夜の勤行、本尊の前で朋輩とニタニタ笑いながらの大声での談笑、義捐者名簿の石板に名前を彫るには喜捨金は200元以上ですよ、などと商人顔負けの売り込みなどは、おそらく鑑真和上が来日するまでの日本の仏教会でさえここまではと思われるような有様であった。
   とは言え、もちろん僕も、倭の国は某地方の小商人の倅、ひたすらその喜捨金を値切り倒し、恥じらいも無く石板に、【日本国尾州 彷徨人】(実際は、本名を彫ってもらったのだが)と、しっかりと彫らせたのである。
   
   下山後、まずは南京のひとつ上海よりにある【鎮江】という街に向かい、かつて明の時代に雪舟がこの地にある【金山寺】を二度訪れ、八角七層の塔を描いた【金山寺】を訪れた。この地はまた鑑真和上の故郷揚州とは長江を挟んで対岸に当たるのだが、遣唐使の帰国船に便乗して6回目の渡日を計画した鑑真和上と一緒に帰国することになった、在唐36年の阿部仲麻呂が故郷を思う、あの有名な“あまのはらふりさけみればかすがなるみかさの山にいでし月かも”であるが、その後長江の流れも変っているので、確かなことは解らないが、この時の出発点が、鎮江の【焦山】の山上から見える辺りなのだろうか。いずれにしても、この歌の歌碑の前に立ち、遠くに霞んで見える長江を眺めながら、結局帰国することの出来なかった仲麻呂の心中を思い描いていたのだ。

  上海と南京のほぼ中央に太湖があり、その湖畔にある蘇州の太湖を挟んだ向かい側に【宜興】という陶都がある。常滑焼のような朱色の急須の焼き物(紫砂陶)で有名な街であるが、中国では『紫泥新品 春華を泛(うか)ぶ』と詠われ、この小さき茶器に数万ドルも出す人がいると聞いたのだが。僕がこの地で求めたものは、“連年召余”二匹の金魚が泳ぐさまを彫り込んだもの、この小さき茶器で、穏やかな時を楽しみたいとの思いでの買い物であった。

   蘇州では水郷の街の路地を歩き廻り、7年前京都を案内した蘇州美人と、漁米の郷の料理、それに老酒との三位一体の時に酔い、菜種梅雨にしぐれる上海では、終日雨の上海の街を眺めながら、ただひたすら酩酊の時を重ねていたのだ。

   そして、日本に到着後、空港で、若い職務熱心な税関の職員は、パスポートの記録が中国一色の出入国を繰り返す人相風体のあまり良からぬ僕を、きっと何かがあると踏んだのであろうか、鞄の中をくまなくかき回し、最後に一言“お疲れ様でした”と言って帰国を歓迎してくれたのだが。誰が見ても、僕の旅は、まことにお疲れ様でしたと言うことなるのであろう。

   8日間ばかりの旅からの家路への途中、家近くの川沿いの人っ子一人いない夜桜の妖艶さにはっとさせられながらも、思いもせぬ満開の桜は、乾燥した大陸の旅での渇きを、一気に潤すかのような気分にさせてくれるのであった。






2011年フィナーレは菩提の道場へ・・・(ケロケロマニアさんの遍路日記)
旅行期間:2011/12/20~2011/12/23
大変な惨禍に見舞われた2011年の日本ですが、正直、自分には何もすることができません。
せめてものお詫びの意味を込めて、祈りの旅へと向かいました。
場所は愛媛県。四国八十八箇所のうち、愛媛県内の札所は、「菩提の道場」と呼ばれます。
ここで煩悩を断ち切り、来るべき新年への願いを込めて、とりあえず「逆打ち」(札所を逆周りすることを、お遍路さん用語(?)でこう呼びます)で、丁度真ん中辺りの45番札所から、41番札所までを、慌しくレンタカーで巡礼させて頂きました。

国分寺盆栽センター(吉備津彦さんの遍路日記)
旅行期間:2011/12/12~2011/12/12
素敵な松の盆栽がいっぱいあって凄いです。

盆栽好きな方は是非お遍路のついでにお寄り下さい。

四国88ヶ寺遍路旅 13-①(natukiさんの遍路日記)
旅行期間:2011/12/23~2011/12/23
月に1度の遍路を誓ってから1年半!師走も押し迫ってのお遍路です。
昨年同様クリスマス寒波の予報が出ている中、日帰りですが13回目の逆打ちを愛媛の西条から今治まで10ヶ寺しました。
4年ぶりの逆打ちはいつもとはちょっと違った感じで多少迷います。
年明けそうそうの遍路を早くから予定していたので、今回は臨時便のように決めてしまいました。
西国霊場もあるので来年はまた遍路でスケジュールが一杯です♪

 ~表紙の写真~
  63番札所 吉祥寺山門